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Happy-Go-Lucky Дневник

当ブログは2018年3月31日を以って完全終了(廃止)いたします!

2016年12月21日 新ブログ開設!


http://www.tamuratakuto.com/



日本が「文化大国」になるために必要なこと

平成28年(2016年)1月12日(火)

 昨年末、ネットサーフィンをしていて、書家の宇都鬼(ウッキー)さんのインタビュー記事を見ました。

 

 宇都鬼さんは、元・お笑いコンビ「アニマル梯団」のおさるさんの書家名なんです。おさるさんは、お母さんが書道の先生で、4歳から書道を始めたそうです。今は、幸か不幸かタレントとしての仕事も一時よりは少なくなったため、書道に本腰を入れ、1日10時間練習することもあるそうです。これまで数々の賞も受賞し、様々な題字を揮毫し、プロの書家としても活躍しているのです。

 

 その宇都鬼さんがインタビューの中で、こんなことを言ってました。

 

――書をお願いすると、おいくらなんですか?

 

おさる:宇都鬼のホームページに依頼先が載っているんですけど、料金は応相談です。そんなに高くないですよ。でも、驚いたことがあったんですよ。大きな字で“一期一会”と書いてほしいと依頼があって、2m70cmくらいで書いたんです。できあがって、金額の相談をしようとしたら、「金払うんですか?」って言われて(苦笑)。

 

 表装とか、書いた後もお金がかかるから、無料とはいきませんよね。そのときは「お金いるんですか? ならいらないです」と言うから、それは自分の家に飾っています。絵に比べて、字は軽く見られるのかなって。ちょっと悲しかったですね。(ニュースサイト『NEWSポストセブン』2015年12月6日の記事より) 

 

 この記事を読んで、いくら何でもそれはひどい!と思ったんですが、もし、自分が依頼主だったら、と考えると、どういう対応を取るかな、なんて考えてしまいました。

 

 この記事では、依頼主がおさるさんの知人だったのかどうかはわかりませんが、もし、私がおさるさんの知人だったら、私も同じような態度を取ったかもしれないなー、と思いました。

 

 おさるさんは「絵に比べて、字は軽く見られるのかなって」とおっしゃってますが、そうとも限らないみたいです。

 

 ちょっと古い記事ですが、ニュースサイト『J-CASTニュース』の2013年10月18日の記事には、こんなことも書いていありました。

ネット媒体の「ほぼ日刊イトイ新聞」に2013年8月に連載された糸井(重里)さんとやなせ(たかし)さんの対談記事「箱入りじいさんの94年」。やなせさんは自分が作ったご当地キャラ約200について、

「これが、全部、タダ。あっはっは。ただね、2つぐらいはお金をくれたんだよね」

などと語っている。役人が4人で頼みに来たこともあり

「ところで、予算がないので、原稿料はタダです」

と言われ、

「えっ、タダですか。私もね、これは仕事でやってるんで、いくらかはもらわないと」

などと言い返したこともあるという。

 

「すごく軽く見られてる」のかもしれないが、それでも引き受けてしまうのは、「俺は巨匠にならないと決めたんだから、くだらない仕事であろうとやらなくちゃいけないなと」 ということなのだそうだ。  

 

 これもひどい話ですが、もしかすると、我々凡人の発想のベースには、「アイディアや創作には元手がかからない」というのがあるんじゃないかと思うんです。元手がかかってないんだから、そこから生まれる価値は高い評価をしない、という発想になるんじゃないかと。

 

 日本人は農耕民族ですので、とくにそういう発想になるのではないかとも思います。農耕は、種を蒔いて、丁寧に育てて、収穫する、という作業。日本人はこういうプロセスを踏んで成果を作るのが好きな民族だと思うんです。だから、資源を加工して製品を作る、というのも得意で、世界有数のものづくり大国になれたと思うんです。

 

 それに、日本人は、成果は平等であるべき、という考えも強いと思います。これも農耕民族ゆえの思想なのかな、と思います。

 

 農耕は、種を蒔く時期や作物の育て方、収穫時期を間違えなければ、誰でも平等に成果が得られます。もちろん、天候不順などで凶作になることもありますが、それとて飢えるのは皆平等です。

 

 でも、アイディアや創作はそうはいきません。才能は個人差がありますので、成果が平等ではありません。自分よりも若い奴が、いいアイディアや創作を生み出してしまう”おそれ”も出てきてしまいます。だから、アイディアや創作に対しては、低めの評価をしてしまう社会的な合意があるんじゃないかと思うんです。

 

 それと、やなせさんの件について、ネット上では、やなせさんクラスの人がタダで仕事を受けてしまうと、それよりも格下の人がお金をもらいにくくなる、という意見もありました。

 

 それは正論だと思うんですが、でも、やなせさんが「ギャラいくらくれるんですか?いつ払ってくれるんですか?」なんてしつこく言い回ってる姿を見たいと思いますか?

 

 やっぱり、日本人には、お金のことをおおっぴらに言うのははしたない、という美学があると思います。

 

 でも、おそらく昔の日本人は、表立ってお金のことを口にしなくても、裏ではちゃんと金銭的なことに決着をつけていたんだと思うんです。そういうのを「粋」と言ったんだと思うんです。面と向かって「お金いるんですか? ならいらないです」「ところで、予算がないので、原稿料はタダです」などという無粋なことを言う人はいなかったんじゃないのかと思うんです。

 

 しかしながら、今は、私の世代はもちろん、私の親の世代(団塊の世代)からも「粋」という文化は失われてしまっています。

 

 もし、日本がこれから「文化大国」を目指すなら、もう一度そうした「粋」という文化を再構築するか、それができないのなら、欧米型の綿密な契約社会になるか、のどちらかだと思います。

 

 今の日本社会は、「粋」な文化も廃れているのに、契約も曖昧、という、カオスの状態であり、そんな社会では、しっかりした文化は育まれないのではないか、と感じています。