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ゆかりの地、千葉・市川で、山下清の作品展を見てきました!

平成27年(2015年)8月1日(土)

 今週の水曜日22日、千葉県市川市鬼高にある、市川市文学ミュージアムというところで、「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」を見に行ってきました^o^

 

 1922年(大正11年)、東京の浅草に生まれた山下清は、日本中を放浪しながら、貼絵を中心とした絵画を作成した画家として知られていますよね〜。実は市川市はとてもゆかりのある地で、8月30日(日)まで、同市で初めて作品展が開催されているのです。

 

 あんまり関係ないかもしれませんが、山下清の両親は、私と同じ新潟県出身で、関東大震災の時は、一時的に清も新潟市に移住したこともあり、なんとなく親近感を持っていました。

 

 でも、今まで、ちゃんと山下清の絵を見たことがなかったので、私の自宅から比較的近い市川市で作品展が開かれていると知り、今回見に行ったのです。

 

?会場は、JR総武線の本八幡駅と下総中山駅の中間にあるショッピングセンター「ニッケコルトンプラザ」に隣接する、生涯学習センター(メディアパーク市川)内の「市川市文学ミュージアム」(中央図書館2階)です。

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?生涯学習センターの前のところに、ポスターも貼ってありました!

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?入り口のところには、山下画伯直筆のポスターも貼ってありました。

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 同作品展は、8月30日(日)まで、平日は朝10時〜夜7時半まで、土日祝日は朝10時〜夜6時まで、入室は終了時刻の30分前まで、月曜日は休館、観覧料は大人一人500円、65歳以上は400円、高校・大学生250円、中学生以下は無料です。

 

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 さて、今回の作品展を見て、私が感じた(考えた)ことは、以下の3点です。

 

①本人の資質もさることながら、教育環境や制度って大事ですよね〜。

 山下清は、生まれながら知的発達障害がありました。小学校の時の知能指数は68しかなかったそうです。それで、やはりというべきか、他の生徒からからかい、いじめを受けるようになり、それに対して山下清はナイフを持ち出して暴力沙汰を起こすなど、問題児童として捉えられるようになります。

 

 そんなこともあって、1934年(昭和9年)、12歳の時に、「八幡(やわた)学園」という施設に入園するのです。この八幡学園は、久保寺保久という人が作った、日本で8番目の精神薄弱者保護施設だったのです。

 

 久保寺保久は、東京帝国大学(今の東京大学)英法科に入学し、外交官を目指していましたが、病気のため休学を余儀なくされ、そこで方針を転換し、京都帝国大学(今の京都大学)哲学科に転学し、社会学を専攻します。

 

 卒業後は、大阪府立修徳館で教員をしていましたが、そこで、知的障害児の教育の必要性を痛感し、関東大震災をきっかけに教員を辞め、1928年(昭和3年)に、千葉県東葛飾郡八幡町(今の市川市)の自宅を開放して、八幡学園を設立したのです。

 

 この学園は、「踏むな 育てよ 水そそげ」を標語に、園児に対して決して責めたり叱ったりせず、職員が静かに辛抱強く園児と接し、園児に押し付けたりせず、それぞれの園児の状況に応じて、それぞれの能力を見出して、自発的に引き出していく、という教育方針があったのです。

 

 はじめは学園に馴染めなかった山下清も、次第に学園の生活に溶け込んで、そこで貼絵と呼ばれるちぎり紙細工の絵画に出会い、才能を発揮していくのです。

 

 山下清はのちに「この学園での勉強はとてもやさしかった」と言っています。浅草の小学校時代には、読み方(国語)も算術(算数)も落第点だったのに、八幡学園での学習は「楽だった」と述懐しているのです。

 

 今回の作品展では、山下清の日記も展示されていたのですが、戦前なので、今よりも難しい漢字が使われていたわけですが、丁寧できれいな字で、ノートにびっしりと書かれていました。

 

 八幡学園では、園児の習熟度合いに合わせた教育が行われていたので、山下清も勉強が楽に感じられ、それでますます学習意欲がそそられて、さらに高度な知識を身につけていったようなのです。

 

 これは、知的障害児施設の特殊な例なのかもしれませんが、今の、日本の全体の教育もどうなのかな、と考えてしまったのです。

 

 ところで、私の小・中・高校時代は、ずーっと「落ちこぼれ」派でした。学校の成績は、下から数えた方が早い、といった有様で、全然勉強ができず、当然受験も「負け組」。

 

 そんな私が言っても説得力がない(逆にあるかな?)かもしれませんが、高校の学習内容は難しすぎると思っています。今や日本人の9割以上が高校に進学する状況ですが、それじゃあ、今の社会人が高校の全科目の学習内容について、どのくらい知識がありますか?

 

 一時、分数ができない大学生が話題になりましたが、現在のような、年齢で一律に輪切りにされる、年次ところてん方式の小・中・高のシステムでは、一度学習の機会を失えば、年だけ取って、知識がない人間ができるのは当たり前じゃないですか。

 

 しかも、進学校の高校では、多くが文系、理系に仕分けてしまうため、すべての科目をおしなべて学習する機会は、ますます失われてしまいます。

 

 それでも、センター試験を多科目受験しなければならない国公立大学の合格者はある程度レベルが保てると思いますが、私立だと最難関大学でも、高校の全科目の知識をおしなべて身につけているかというと、かなり欠落してる学生が多いのではないかと思います(とくに文系学部生の物理や地学などの知識、理系学部生の国語や歴史などの知識←あっ、もちろん中堅私立大の文系学部出身の私は、欠落しまくりです^^;;;)。

 

 社会で生きていくためには、中学校くらいの学習内容で十分で、あとは社会で実践的なことを身につけていけばいいのではないかと思います。

 

 小学生でも、中学校でやる全科目の3年分の学習内容を習得する子がいるでしょうし、20歳くらいで中学校でやる全科目の3年分の学習内容を習得する子もいると思います。どんな落ちこぼれでも、繰り返しやれば、30歳くらいまでには、中学校3年分の全科目の知識は身につくでしょう。

 

 あとは、それぞれの子の興味に応じて、15歳くらいでも高校どころか大学レベルの学習をする子がいてもいいし、イベントを企画して実行する子がいてもいいし、旅に出て写真をとって個展を開く子がいてもいいと思うんです。

 

 もちろん、今も大学飛び級入学とか、AO入試とか、ゆとり教育とか、いろいろな取り組みがなされているとは思うんですが、どれも従来的なシステムの枠を出ない、対症療法的な取り組みのような気がして、そろそろ日本の教育制度のグランドデザインから変えていかないといけないのかな、と感じます。

 

 ホリエモンこと堀江貴文さんはツイッターで、今やインターネットで世界中の大学の授業が見られるのだから、みんなが一箇所に集まって学ぶような、従来的な学校は不要だとまでおっしゃっていました。先進的な人は、そこまで考えているのです。

 

 でも、習熟度別学校システムなんて導入したら、保護者たちが大騒ぎするでしょうね〜。うちの子は落ちこぼれか、差別するのか、なんて言って…。でも、本当は、習熟度別学校システムこそ、子ども一人一人に寄り添ったナイスなシステムなんじゃないのかな、と、今回の作品展の八幡学園の紹介展示を見て、考えたのです。

 

②障害者の芸術も「正しく評価する」ことが大切だと思いました。

 今回の作品展のタイトルは「山下清とその仲間たち」となっています。山下清と同時期に八幡学園で学んでいた石川謙二(享年26)、沼祐一(享年18)、野田重博(享年20)と、字が書けなかったり、数の概念がないなど、山下清よりも重度の知的障害があり、体も弱く、夭逝(ようせい=若くして亡くなること)した園児たちの絵も展示されていました。

 

 障害者や、専門的な美術教育を受けない人による芸術作品を英語で「アウトサイダー・アート」と言ったり、フランス語で「アール・ブリュット(生粋の芸術)」と言ったりします。

 

 私はそうした絵は、今まであまり見たことがなかったのですが、今回見て、そういうカテゴリー分けが必要ないのではないかと思うほど、素晴らしい作品ばかりでした。とくに、沼祐一さんの作品は、戦前とは思えないほど、デジタル的な、コンピューターアート的な造形、色使いで、すごいな、と思いました。

 

 他に見にいらしていた方々からは「障害があるのに、こんな作品作るなんてすごいね〜」といった感想があちらこちらから聞こえてきました。

 

 この感想自体は、見た人の多くが感じる、素の感想で、私もそう思いましたが、一方で「障害者が描いた絵だからすごい」というフィルターは、もしかすると障害者が描いた絵は、なんでもすごいね、という、誤った評価につながらないかな、とも感じたんです。

 

 山下清の絵の才能を見出したのは、八幡学園で顧問医を務めていた精神科医の式場隆三郎という人です(彼も偶然にも新潟県出身)。式場隆三郎は医業の傍で、画家のゴッホ研究の日本における第一人者としても知られていて、だから山下清の絵の才能も見いだすことができたのです。

 

 障害者だからといってみんながパラリンピックに出られないのと同じように、障害者の芸術にも当然駄作はあると思います。もちろん、障害者がその生きがいとして芸術作品を作るのは素晴らしいことですが、世に出す以上は、駄作を過度に評価しないようにすることも、大事なことなのではないか、と感じました。

 

③障害者福祉はどうして必要か?

 北欧をはじめ、先進国と言われる国では、障害者福祉が充実する方向にあります。

 

 経済的効率性から言ったら、障害者の人口比は圧倒的に低く、生産性も高くありません。そんな人たちに、わざわざ費用をかけて福祉を充実させるのは、どうしてなんでしょう?

 

 もちろん、理念としては「人間は生まれながらにして人権があり…」とか、あるいは宗教をベースにした慈悲とか博愛の精神とかによって、社会的に弱いと言われる人に対して手を伸ばすのは人として当たり前、などというのはわかります。

 

 でも、私はもう少し違う視点で考えてみました。間違った考え方かもしれませんが、障害者って、我々の社会を安定させる、神様のような存在なんではないかと思ったんです。

 

 もし、動物の社会なら、障害があれば、群れから外されたり、仲間から攻撃されたりして、排除されます。これを、人間の社会でやろうとしたアホたれが、ヒトラーです。

 

 それで、ヒトラーがやったことは、障害者の排除だけですか?そうじゃないですよね〜。ヒトラーが作ろうとした帝国は途中で頓挫しますが、あれ、究極まで行ったらどうなったでしょうか?

 

 おそらく、白人のドイツ人でも、ヒトラーが「お前の顔が気に入らない」といった理由だけで殺されるような国になったでしょう(今、日本の近くに、それに似た国がありますよね〜)。

 

 誤解しないでほしいんですが、「障害者が社会を安定させている」というのは、障害者のような大変な人がいるんだから、自分はそれよりはマシなんだから、がんばろう、といったような、さもしい精神構造を言ってるんじゃないんです。

 

 障害者を大事にする国というのは、その国の全ての人が幸せに暮らせる国である、というバロメーターになるんじゃないのかな、ということなんです。

 

 たとえ障害があっても誰もが生き生きと暮らせる社会というのは、その社会が、人間の社会として、動物の社会とは一線を画すという、一番大事なポイントなんじゃないのかな、と考えたのです。

 

 そういう意味で、障害者というのは、人間としての社会を護持してくれている、守り神様のような、尊い役割があるのではないかと考えたんです。

 

?ちなみに、山下清が入園した八幡学園ですが、現存しています。1941年(昭和16年)に当初の地から現在地(市川市本北方)に移転しています。

現在は、「社会福祉法人 春濤会」が運営していて、約80名の入園者がいらっしゃるそうです。

今は戦前と違い、公的な支援も受けられるようになったものの、財政的に厳しいものがあるようです。会場にあったパンフレットには、1口2000円以上の募金の案内もあり、私も経済的に厳しいものがありますが、最低の2000円を振り込んじゃいました^^

なんか、ブログを書くための、アピールのような募金になってしまいましたが、もし将来実入りが今より改善したら、もっと募金しようと思います^o^

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