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日本の考古学発祥の地、大森貝塚を見に行きました!

平成27年(2015年)2月17日(火)

 前回のブログで、東京・蒲田にある「麺屋武蔵」というラーメン屋さんで、チョコレートのラーメンを食べた、ということを書きました。

 

 私は現在夜勤の仕事をしていて、麺屋武蔵に行った日も、朝6時までの勤務でした。麺屋武蔵の開店は11:30で、それまで5時間もありましたので、どうやって時間をつぶそうかと考えた結果、日本史の教科書の最初の方に必ず出てくる「大森貝塚」を見に行ってみよう、と思い立ちました。

 

 それで、JR京浜東北線・大井町駅の周辺で朝ごはんを食べながら時間を潰し、池上通りという通りを歩いて15分くらいのところにある、品川区立品川歴史館というところにまず行って、大森貝塚についての予習をしました。

 

?縄文時代から現代までの品川区の歴史を学べる施設です。入場料は100円でした。

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 品川歴史館の建物は2階建てで、1階には江戸時代の品川宿の模型とか、素敵な日本庭園などがあって興味を惹かれたのですが、時間の都合上、それらはあっさり見て、2階の大森貝塚コーナーを中心に見ました。

 

?2階は大森貝塚の展示が中心です。

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 「大森貝塚」を発見した人といえば、教科書でもおなじみのモース博士ですよね〜。1838年に、アメリカのメイン州ポートランドで生まれたエドワード・シルベスタ・モースは、21歳の時に、アメリカ動物学の父と言われるルイ・アガシーの助手となり、動物学の研究者となります。

 

 それで、腕足類という動物の研究をしていた時、日本に腕足類がたくさんいると聞いたモース博士は、明治10年、38歳の時に来日しました。

 

 来日の際、横浜から新橋まで汽車で移動中、大森のあたりで貝が堆積している場所を車窓から発見するのです。貝塚発掘の経験のあったモース博士は、ここが、貝塚(大昔の人が食べた貝殻などを捨て、堆積したもの)であると見抜き、それから3ヶ月後に本格的な発掘調査を開始しました。

 

 この調査は、日本で初めての科学的な調査であり、発掘調査報告書もまとめられたため、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と言われているのです。

 

?この人が、モース博士です。日本の文化や日本人の礼儀正しさというのをとても気に入って、動物学の研究だけでなく、日本中を旅行して、各地の文化をスケッチしたり文章に書いたり、生活道具や看板、玩具を収集したそうです。

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?モース博士が旅行した場所のパネルもありました!北海道から鹿児島までくまなく行ってますね〜。でも、日本海側が全くスルーなのは、新潟生まれの私としては「なぜ⁉︎」と思っちゃいました^^

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?1階には、貝塚の一部が展示されていました。

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 さて、品川歴史館を後にして、大森貝塚に向かうのですが、実は大森貝塚には、昭和初期に建てられた2つの記念碑があって、どっちがモース博士が発掘した場所なのか、ということが論争になっていました。

 

 というのも、モース博士の発掘調査以降は、なんと本格的な調査は1984年まで行われず、記念碑が建てられたころは、発掘調査に関わった人たちでさえ、発掘した場所がわからなくなってしまったそうなんです。

 

 2つの記念碑は距離は300メートルくらいしか離れていないんですが、一つが品川区大井6丁目、もう一つが大田区山王1丁目にあり、地形的にも分断されているのです。お互い、区が違うということもあり、よくありがちな「こっちが本家」論争があったみたいなんです。

 

 そして、1977年に、当時の東京府が発掘場所の地主に発掘補償金を支払ったと書かれた文書が発見され、その場所が現在の品川区大井6丁目に当たることがわかり、品川区側がモース博士が発掘した場所だと裏付けられたのです。

 

?品川区側の記念碑は、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」という公園になっていて、その中にあります。品川記念館から歩いて5分くらいのところにありました。

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?庭園の案内図です。

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?貝塚のわかりやすい展示がありました(実際の貝塚の場所ではないそうです)。大森貝塚は、縄文時代後期のもので、今から3500〜2400年前のものだそうです。

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?中央の広場では、突然噴水のようなものが湧き、びっくりしました。案内板によると、約30分ごとに霧を発生させ、時間を超越した幻想的な空間の演出だそうです^^;;

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?肝心の、「大森貝塚」と書かれた記念碑をパチリ!JR京浜東北線の線路際の、庭園の奥のわかりにくい場所にありました。昭和4年に建立されたものです。

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?このくぼみは、実際に貝塚が発掘された場所だそうです。

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?線路際はちょっとした崖になっているんですが、降りてみました。

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?線路方向から、貝塚跡をパチリ!でも、実際、JR京浜東北線の車内から見ると、一瞬で過ぎていってしまいますよ^o^

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 モース博士が発見した当時は、汽車のスピードも速くないし、周りに建物もなかったから、貝塚も目立ってよく見えたのだと思います。でも、モース博士が動物学の研究者でなく、貝塚発掘の経験もなく、知的好奇心もない人なら、たぶんスルーしてたでしょうね〜。

 

 年末のブログでも書いたように、日本で最初に鉄道が敷かれたのが、新橋と横浜の間で明治5年のことです。モース博士はその5年後に汽車の中から貝塚を発見するのですが、なんと、貝塚がむき出しになっていたのは、鉄道を敷設するために、土地を掘削したからなのです。

 

 つまり、鉄道工事に関わった人も、また、それまでに鉄道から車窓を眺めた人も、その辺を歩いた人も、何百、何万という人が貝塚を見ていたはずなのに、誰一人として、それが考古学上重要なものだとはわからなかったのです。

 

 同じものを見ていても、知識がない人や、興味・関心のない人には、見えてないのと同じ、という好例だと思います。発見や発明というのは、誰にでも偶然に天から降ってくるものではなく、普段からアンテナを張って、いろいろな知識を身につけ、いろんなことを深く考え、いろんなことに興味・関心を持っている人に降ってくるのだと思います。

 

 だから私も、これからいろんなことに興味・関心を持って、幅広い視野を持っていきたいと思っています^o^

 

?モース博士の銅像がありました。「いい仕事してますね〜」って感じで、縄文土器を眺めてますね〜^^

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?モース博士の生まれ故郷、ポートランド市と品川区は、姉妹都市となっていました。

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?トイレも、実際に発掘された縄文土器がモチーフになってました。

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 読むの疲れました?でも、いつものように、まだまだ続きますよ〜(^w^) 大田区側の、もう一つの記念碑も見に行ったのです^o^

 

?実は、品川区側の記念碑といっても、品川区と大田区の境にあって、庭園から池上通りを大森駅方面に歩いて行くと、すぐ大田区に入りました。

ところで、これも当ブログのお家芸、雑学のプッシュを一つ。大田区は「太田区」とは書きませんが、これなんでだかわかりますか〜?実は、戦前の東京(市)は、35区もあったのですが、戦後に22区に再編されました(その後、板橋区から練馬区が分離して23区に)。

それで、大森区と蒲田区というのがあって、この2区が合併するとき、名前をどうするか揉め(今の「平成の大合併」と同じですね^^;;)、大森+蒲田で「大田区」となったんですね〜(「大蒲区」にしなくてよかったですね〜、なんとなく)。

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?大森貝塚遺跡庭園から歩いて5分で、NTTデータ大森山王ビルがありました。

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?ビルの右脇に、「史跡大森貝塚」という案内がありました。

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?NTTデータの敷地の中に入っていきますので、少しドキドキ。朝9時から夕方5時まで見学できるように開放されているようです。

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?ビルの脇の階段を下っていきます。

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?階段を降りたところには、こんな看板が!「日本電信電話公社」ってのがいいですね〜。

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?看板の先は左右に分かれてました。左に行くと、NTTデータの駐車場に行ってしまいますので、注意^^

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?線路脇に、記念碑がありました!

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?こちらは「大森貝墟」と書いてありました。品川区側の翌年の昭和5年の建立です。史実は品川区側に軍配が上がりましたが、こちらも建てた当時の人の想いとして、いつまでも残して欲しいと思いました。敷地を見学に開放してるNTTデータもグッドジョブです^o^

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?「大森貝墟」から歩いて3分で、JR京浜東北線の大森駅に着きました!ところで、モース博士が発掘したのは前述の通り、品川区側の大井6丁目(当時は大井村)なのに、なんで「大森貝塚」と呼ばれているかというと、モース博士は汽車でこの大森駅(当時は大森停車場)から線路沿いを歩いて発掘場所に向かったからなんだそうです。f:id:tamuraic:20150217124527j:plain