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バカにする人もいるかもしれないけど、やっぱり「絆」って大切ですよね〜!

平成27年(2015年)1月17日(土)

 以前のブログで、私は「◯◯周年」というのが好きだ、ということを書きました。それで、昨年のブログで、東海道新幹線開業50年とか、宝塚歌劇発足100年とかいうことを記事にしました。

 

 そして、今年2015年はと言うと、3月には、オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年を迎え、8月には、広島・長崎への原子力爆弾の投下と日本が戦争に負けてから70年を迎え、さらに同じ8月には、日本航空123便墜落事故から30年を迎えます。

 

 日本は戦後ずっと平和で文化的な国を維持してきましたが、今年の「◯◯周年」の出来事を考えると、世界規模での負の側面が見えてくるのです。

 

 地下鉄サリン事件は、世界で初めて都市で無差別の人に対して化学兵器が使われたテロ事件となりましたし、広島・長崎は世界で唯一の被爆都市ですし、日航機の事故は、単独の航空機事故としては、いまだに世界最悪の死者数を記録する事故となっています。

 

 今年が節目となるそれらの出来事は、決して過去の出来事としてとらえるべきものでなく、今後も世界中の人々が直面するであろう大きな問題につながることだと思います。私も自分なりに、今年1年、それらの出来事について色々と考えていきたいと思っています。

 

 そして、今日1月17日、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の発生から20年を迎えました。

 

 1995年(平成7年)1月17日火曜日、朝5時46分、兵庫県の淡路島沖を震源とするマグニチュード7.3の大地震が発生、兵庫県を中心に、死者6434人を出す大災害となりました。

 

 この地震は、断層のずれによって生じた直下型地震で、震源が神戸市に近く、日本で初めて都市の直下で発生した地震で、日本で初めて震度7(当時の基準)を記録した地震でもあったのです。

 

 私はこの時大学生でした。東京の八王子市で、風呂なし、テレビもなしの、ネズミとゴキちゃんの巣窟のようなボロアパートに一人暮らししてました。テレビがなかったので、阪神・淡路大震災の惨状のリアルタイムの映像はほとんど見てないのですが、新聞やラジオでは連日報道され、これは大変なことが起きた、と思ったものです。

 

 当時私は読売新聞を購読していて、新聞には、死んだ人の名前と年齢と職業がすべて載っていました。私は、その一人一人の名前を何時間もかけて読んだのを覚えています。

 

 私と同じ大学生の人もたくさん死にました。たぶん、神戸のあたりには大きな大学もたくさんあるので、私のように親元を離れて、一人暮らしをして亡くなった方もたくさんいたと思います。私よりずっと若い、赤ちゃんや小学生や中学生の子たちもたくさん載ってました。

 

 これだけの人が死んだということは、それ以上の遺族ができた、ということでもあります。もちろん、昨年だけでも自殺者は2万5千人以上、交通事故での死者数は4100人以上あって、毎日どこかで、天寿を全うせず不本意のまま死んでいく人と、遺された家族は出ているのですが、戦争を体験していない私にとって、1日にして6000人以上の人が亡くなるなんていうのは初めての経験だったので、悲しいとか気の毒とかいう以上の、すごいショックを受けた覚えがあります(4年前の東日本大震災でも、多くの日本人がそのような感覚を受けたのではないでしょうか)。

 

 阪神・淡路大震災で亡くなった6434人の中に、地震の前日に「明日自分は死ぬんだ」なんて思った人は誰一人いません。日本で生まれ、日本で生活していく以上は、大地震のリスクは常に受け入れていかないといけないとはいえ、日々真面目に暮らし、働き、学んでいる人たちの命を一瞬のうちに奪ってしまう地震というのは、やっぱり恨めしい存在に思えてしまいます。

 

 おととい(15日)朝のNHKの「おはよう日本」という番組を見ていたら、阪神・淡路大震災の特集をやってました。NHK神戸放送局では、震災から3年、5年、10年目に被災者に向けてアンケート調査を実施していて、20年目の今年もアンケートを実施し、900人以上から回答をもらったそうです。

 

 その中の一つの質問に、心の復興をどのくらい感じるか、というものがありました。これは、0〜100までを10刻みにし、震災前に比べての心の復興度合いをどのくらい感じるかを数値化して答えてもらうものです。

 

 その結果、10年前は平均で68だった心の復興の度合いが、今回は79まで改善されたのだそうです。ただ、20年たっても「生きる希望をなくした」「体調が悪くなってフラッシュバックする」と答えている人もいて、心の復興の度合いを50以下と答えた人が114人もいたそうです。

 

 そして、震災前からの友人と同じようにつきあえている、と答えた人の心の復興度合いの平均が85だったのに対し、震災を境に友人と全くつきあえなくなった、と答えた人の心の復興度合いの平均が58と、大きな差が出たことが紹介されていました。取材した記者の人は「震災の体験を友人や知人に話すことができれば、みずからのつらい気持ちを少し整理することができたり、自分を責める必要はないと、相手の話を聞きながら感じることができるのではないか」と分析していました。

 

 仏教の考え方に、「無財の七施」というのがあります。「お布施」というのは普通、金品を他人に施し与えることで、仏教の大切な徳目の一つですが、お金がなくても心がけひとつでできるお布施が7つもあるよ、というのが「無財の七施」と呼ばれるものなのです。

 

 その中の一つに「和顔施(わげんせ)」というのがあります。人に対していつも朗らかな笑顔で接すれば、当人だけでなく、周囲の人も明るくなって、みんなの運気を上げます。それは他人に施しを与える行為、つまりお布施であり、徳のある行いである、と考えるのです。

 

 また、「言辞施(ごんじせ)」というのもあります。相手を思いやる言葉を言う、相手に感謝する言葉を言う、ということです。これだけで、相手の人は気分が明るくなりますよね。これも、立派なお布施、というわけなのです(なんか、「心のともしび」みたいなブログになってしまいました)。

 

 現代は良くも悪くも、金銭至上主義のようなところがありますので、このような、心のお布施、というのは現代社会ではとらえるのがなかなか難しいとは思いますが、こういう考え方もあるのだということを、ここまで読んでくださった方に知っていただければいいな、と思います。

 

 私のお友達で、主婦ブロガーのまる2005さんは以前のブログで、「美味しいカボチャが見つからない」と書いたら、それを見ていた大学時代のご友人が近所で買ったカボチャが美味しかったからと、わざわざ家まで持ってきてくれたそうです。

 

 そのお友達の行為は、ホントに徳のある行いで、運気がますます上がるのではないかと思いましたが、まる2005さんはそれに対し「私自身は全然気が利かないキャラなので、周りの友達に甘えるばっかり。本当にごめんなさい!!!でも、優しい友達に囲まれていること、いつもとっても感謝しています」と書いていました。

 

 なんか、震災の話から逸れて、まる2005さんに向けてのメッセージのようになってしまいますが、私が何を言いたいかお分かりでしょう?そうです、まる2005さんが昔からのお友達と会って明るく振舞ったり、感謝の言葉をブログに書いたりするのは、まさに「和顔施」「言辞施」で、相手を利する徳のある行いなのです。

 

 まる2005さんは、私が前に働いていた会社で仲良くなった方で、私がその会社を辞めて3年以上も経っているのに、いまだに仲良くしていただいているのです。

 

 それどころか、まる2005年さんは、大学時代のご友人のみならず、高校時代のご友人とも卒業してウン十年経った今でも定期的に女子会を開いて交流を持っているのです。もし、まる2005さんが甘えるばかりの「テイク&テイク」のような振る舞いをする人なら、みんな離れていってしまうと思います。

 

 でもいまだに感謝の気持ちを忘れず、周りの人を明るくしているから、つきあいが続いているのだと思うのです。まる2005さんが気づかないだけで、実は周りの人にたくさんの徳をギブしているんだと思います。

 

 話が大きく逸れてしまいましたので、この辺で修正。

 

 今日の結論としては、戦争や災害、事故や犯罪で悲しい目に遭う人はたくさんいらっしゃいますが、そういった方たちが存命している限り、金銭面、物質面の支援は当然のこと、そればかりでなく、悲しみや苦しみに思いを馳せたり、優しい心で接し、寄り添って、話を聞いてあげたりする、そういったことだけでも徳のある行いであり、被害に遭った人たちの役に立っていることになるのではないか、ということなのです。