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土木遺産に認定されたトンネルを見てきました!そして、宗吾霊堂で御朱印をいただきました!成田山新勝寺でお参りもしたよ!

平成26年(2014年)12月2日(火)

 以前のブログにも書いたように、私は「毎月1つ、どこかの寺社にお参りして御朱印をいただく」という自己ルールを課し、2009年11月より継続してきました。そして、先月でついに丸5年となりましたが、これまで1回も欠かすことなく継続中です^o^

 

 ただ、先月は、風邪をひくなど体調不良もあって、なかなか行けず、ついに末日になってしまいました。それで、どこの寺社にお参りしようかと思案していたところ、先日の新聞に、千葉県成田市にある成宗(せいそう)電車第一・第ニトンネルが、土木学会選奨土木遺産として認定された、という記事を見ました。

 

 成宗電車とは、明治41年(1908年)に設立された成宗電気軌道株式会社が、明治43〜44年にかけて、成田山新勝寺〜成田駅〜宗吾(そうご)霊堂の間の5.4kmで開業させたミニ鉄道(一部路面電車)なのです。千葉県で初めて走った電車(=電気を動力とする鉄道)であり、現在に至るまで、千葉県内を走った唯一の路面電車だったのです。

 

 今から考えると、とても採算の取れそうにない路線ですが、当時は両寺の参拝客の利用が多く、黒字経営だったそうです。明治36年度の千葉県統計書によると、県都の中心駅である千葉駅の年間乗降客数が約48万人だったのに対し、新勝寺の最寄駅の成田駅は約53万人を記録し、県内1位だったそうです。

 

 今でこそパワースポットブームで寺社めぐりをする人が多いですが、江戸時代や明治時代は、お寺にお参りに行くというのは最も人気のある観光コースだったんです。今や通勤・通学の足として欠かせない京成電鉄や京浜急行電鉄、大阪の南海電鉄などは、なんと、もともとはお寺への参拝客のために敷設された鉄道だったのです。それくらい、お寺に参拝する人が多かったんですね〜。

 

 だから、二つのお寺を結ぶ成宗電車も、十分に採算が取れた、というわけ。ところが、第二次世界大戦に突入すると、兵器の資材不足が深刻化し、全国の不採算鉄道や不要不急線は廃止を余儀なくされ、鉄を供出させられたのです(この時期には、全国の大仏なども供出されたそうです。そんな自転車操業のようなことをやってる国が、本気でアメリカに勝てると思ってたんでしょうかね〜^^;;)。遊覧的要素の強かった成宗電車も不要不急線として、昭和19年(1944年)12月で廃止されました。

 

 と、いつものように、前置きが超ロングになりましたが、成田山新勝寺は以前に御朱印をいただいていましたので、今回は宗吾霊堂で御朱印をいただこうと思い、せっかくなのでお散歩も兼ねて、成田山新勝寺から、かつての電車が通っていた道を歩き、トンネルも見て、宗吾霊堂に行こう、というプランを立て、こないだの日曜日(30日)に行ってまいりました。

 

?成田山新勝寺は、JR・京成の成田駅から徒歩15分くらいです。日曜日ということもあり、表参道は、原宿の表参道並みの人通りでした!(奥に見えるのは、新勝寺の三重塔のてっぺんです)

参道脇には名物の鰻料理屋さんをはじめ、おみやげ物屋さんなどいろいろなお店があって楽しいです。和風な街並みが保たれていて、成田空港に近いということもあって、近年は外国人観光客もたくさんいらしているそうです。

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?今回は、成田山新勝寺はメインではないので、お参りをしてすぐに後にしました。写真は上から、総門、本堂、三重塔です。

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 成宗電車はもともと表参道を通す予定でした。しかし、参道にはたくさんのお店があり、また、当時、成田駅と新勝寺の間には150台もの人力車が行き来していたそうです。そんなところに鉄道を敷いたら、商売上がったり、ということで、商店主や人力車の車夫たちの猛反対にあったため、表参道を迂回する形で線路が敷設されたのです。

 

 そのため、途中トンネルを掘削する必要があり、それが、今回土木遺産に認定された二つのトンネルだったのです。

 

?電車が通っていた道に入ります(成田山信徒会館前)。表参道の人混みとは打って変わって、歩いている人はほとんどいませんでした。このあたりは、不自然に道路が広くなっていましたが、ここに成田山門前停留所(電車の終点)の駅舎があったのです。ここから宗吾霊堂まで、約20分で結んだそうです。

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?成田駅方面に進むと、くねくねとカーブが続き、上り坂になってました。ここを、成宗電車が走ったんですね〜!

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?カーブを曲がると突然煉瓦(レンガ)造りのトンネルが目に飛び込んできました。第二トンネルです。感動のあまり、思わず「おー」と声を出してしまいました^^

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?短いトンネルですが、歴史を感じさせるトンネルです!

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?電車は廃止されましたが、現在も市道(新葉石門前線)として使用されています。トンネルをJRバスが通りました。鑑賞するだけの美術的な文化財も好きですが、このように今なお人々の役に立っている実用的な文化財、っていうのは好きですね〜。

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?反対側からもパチリ!数年前のブログを見ると、トンネル内部に電車の架線をつるした金具が残っていたようですが、見当たりませんでした。トンネルの外の壁面には、鉄の板みたいなのが取り付けられていましたが、これももしかしたら架線を吊るしていた金具なのかもしれません。

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?短いトンネルですので、車道用の照明が1つ取り付けられているだけでした。

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?トンネルの上には、横にある階段から登れました。上からもパチリ!

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?でも、銘板らしきものがなく、ちょっと寂しいな〜、と思っていると、第二トンネルを出たところに、記念碑が立ってました^o^

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?第一トンネルは、第二トンネルのすぐ先にありました。第二トンネルの上から第一トンネルを撮影しました。

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?両トンネルの間には、「幼稚園下」という停留所があったそうです。その幼稚園(成田幼稚園=新勝寺が明治38年に設立した幼稚園で、千葉県で最も古い私立幼稚園)は、第二トンネルの上に現存していました!

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?両トンネルの間に、距離を知らせる看板がありました。成田駅からも新勝寺からも歩いて行ける距離ですネ!

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?そして、なんと、この通りは今なお「電車道」という愛称で呼ばれているのです。電車も通っていないのにどうして電車道なの?と疑問に思った子供が、それをきっかけに地域の歴史を調べる、こうして郷土の歴史って受け継がれていくんだと思います(話は逸れますが、だから、地名というのも、なるべく変えずに昔のままの漢字で残していくべきだと、個人的には思っています)。

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?第一トンネルの前まで来ました!こちらはちょっと長め。

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?第一トンネルの脇に、うれしい看板が!!土木遺産認定を知らせる看板で、詳しい解説もありました!

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?煉瓦には、「土木學会選奨土木遺産」の真新しいプレートが埋め込まれていました!土木遺産は、歴史的土木建造物の保存に資する目的で、公益社団法人土木学会が2000年から認定している制度です。千葉県内では今回で10件目の認定となります。土木学会のウエブサイトには、全国各地の土木遺産が載っていて、いろんなところに行ってみたくなりました^o^

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?第一トンネルは、長いこともあり、暗くてちょっと鬱蒼としていて、壁には湧き水が流れていました。

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?第一トンネルも、上からパチリ!

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?第一トンネルは長いので、車道用照明3基と、歩道用照明4基が設置されていました。

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?反対側からもパチリ!100年以上前に造られたとは思えない、美しい状態で保たれていました。これからも、ずっとずっと残していって欲しいと思いました!

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?トンネルを出てしばらく歩くと、五叉路に突き当たります。左奥が成田市役所、右に行くと成田駅、上を通る高架は京成電鉄で、右側が京成成田(京成上野)駅方面、左側が成田空港駅方面です。

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?交差点のところに、千葉交通の本社ビルが建っていました。なんと、この千葉交通という会社は、成宗電気軌道が社名を変えた会社で、現在はバス事業を専業に行っているのです。

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?五叉路から上に行く道と下に行く道があって、両方とも成田駅に行けますが、五叉路からのカーブの形態から考えると、上に行く道が電車が通っていた道でしょうね〜。

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?小さい電車がこの坂を登っていたんでしょうかね〜。今も残っていたら、京成線と一緒の写真が撮れましたね〜^o^

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?異常に道が狭まりました。線路は複線だったらしいのですが、当時もこの道幅のままなら、結構ギリギリに電車が通っていた、ということになりますよね〜。

この先が、京成成田駅です。

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?京成成田駅前でカーブし、急に道が広くなり、いかにも電車が通っていた感じの道幅になりました。

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?カーブの先には千葉交通の小さいバスターミナルがありました。成宗電気軌道の後進の千葉交通が所有するバスターミナルですので、ここに電車の停留所があったのは間違いないでしょうね〜。

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?バスターミナルの中です。

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 それで、当初の予定では、ここからさらに線路跡をお散歩しながら宗吾霊堂まで行こうと思ったんですが、時間が押し迫ってきて、もしこの日に御朱印をいただけないと、ついに連続記録が途切れてしまいますので、バスを使って行くことにしました。

 

?宗吾霊堂行きバスの案内がありました!

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?そしたらなんと、宗吾霊堂行きバスは1日3本しかなく、15時が終バスでした。この時の時刻は14時50分。おー、なんという幸運!なんか、太川陽介さんと蛭子さんがやってるバスの旅の番組を体感しているようでした^^

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?バスは、ターミナル外の7番線から出るようでした。

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?バスが来るまで10分くらいありましたので、周りをウロウロしていたら、なんと、記念碑を発見!記念碑には

「千葉交通は明治四十一年十一月、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ成宗電気軌道(株)として設立されました。県内初の電車として明治四十三年に成田山門前〜成田駅前間、翌年に成田駅前〜宗吾間が開業しましたが、昭和十九年に太平洋戦争の資材提供のため廃線となり、以降、バス事業会社として現在に至っています。この度、会社創立百周年を迎えるにあたり、成宗電車に名残のある当地に記念碑を建立します。」

と書かれていました。

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?当時の電車の絵も!なお、当時走っていた電車のうち5両は、北海道函館市の路面電車に売却されたのですが、そのうちの1両は現存し、なんと、現在も「箱館ハイカラ號」の愛称で、函館の街を走っているそうなんです。もし函館に行くことがあったら見てみたいと思いました^o^

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?バスの乗客は私の他に、小学生らしき女の子2人組のみでした。成宗電車は5〜15分間隔で運行されていて、利用者も多かったらしいんですがね〜^^;;;(ちなみに、奥に見えるのが、JRの成田駅です)

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?一番前の席に乗りました。バスは一部を除き、ほぼ成宗電車と同じルートを走ります。

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?途中から乗車してくるお客さんは1人もおらず、女の子2人組も途中で下車しましたので、途中から乗客は私だけの貸切状態でした。そこで、車内をパチリ!

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?15分ほどで、宗吾霊堂に到着しました。バスの折り返し場になってましたが、このあたりでは成宗電車は路面電車ではなく専用軌道を通っていたようで、この場所が電車の停留所ではなかったようです。

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?バス停のすぐ隣が宗吾霊堂の入り口になっていました。

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 真言宗豊山派の鳴鐘山東勝寺というお寺ですが、義民・佐倉宗吾のお墓があるので、「宗吾霊堂」と呼ばれています。

 

 それで、佐倉宗吾とはいったい誰なのか?これは、江戸時代に、近くにあった公津村というところの名主だった木内惣五郎という人のことなのです。この木内さんという人は、飢饉と佐倉藩の過酷な重税によって苦しめられていた領民を救うため、国家老や藩主に直訴するも聞き入れられなかったため、命を賭して4代将軍・徳川家綱に直訴したのです。

 

 これにより、10万もの領民の命は救われたものの、将軍様への直訴の罪で捕らえられ、領民による助命嘆願も虚しく、4人の子供と共に処刑されてしまったのです。

 

 その後、失政を反省した佐倉藩により、宗吾道閑居士という高い法号を与えられ、それ以来、義民・佐倉宗吾様として、東勝寺に祀られ、後世まで崇められてきたのだそうです(テレビドラマの水戸黄門のような世界観ですが、水戸黄門なら、なぜか藩主が罰せられ、義民は安泰、ハッピーエンド、という展開になりますよね〜。現実は厳しい〜(>_<))。

 

?手水舎です(このブログって、手水舎取り上げるの好きですよね〜^^)。ここの手水舎は、今まで私が行った寺社で初の、自分で蛇口をひねる方式でした。「ご使用後は止めて下さい」の看板がありました。

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?大本堂です。

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?宗吾様と4人の子供のお墓もお参りしました。お線香も供えました。

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?肝心の御朱印も無事ゲット!6年目も頑張ります!!

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 今日のブログは、超ロング(タイトルも)の一大スペクタクル巨編、って感じでしたね〜。いったい何人の方が途中で「戻る」ボタンを押したことでしょうか^^ ここまで読んでくださった方に、福がありますように(もちろん、途中で脱落した人にも福がありますように^^)。

 

 なお、宗吾霊堂は、成田駅からのバスは1日3本でしたが、京成本線・宗吾参道駅から歩いて15分くらいのところにありますので、そちらの方が便利ですよ〜!

 

?さらに延長の1枚!本堂裏に、宗吾御一代記念館という施設がありました。宗吾様の直訴から処刑までを、66体の等身大人形で再現している、とのことでした。なんとなくシュールな匂いがして、当ブログのネタにもってこいかな、と思ったのですが、時間が押し迫っていたのと、入場料700円という、ちょっと気楽に見られない感じの料金設定だったため、今回は断念。もし再訪する機会があれば、リポートしたいと思います^o^

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