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Happy-Go-Lucky Дневник

当ブログは2018年3月31日を以って完全終了(廃止)いたします!

2016年12月21日 新ブログ開設!


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流山で白みりんが誕生して200周年!

平成26年(2014年)8月16日(土)

 煮物にめんつゆ、蒲焼きに照り焼きにと、日本料理に欠かせない調味料と言えば、みりんですよね〜。千葉県流山(ながれやま)市は、江戸時代からみりんの一大産地として知られていますが、このたび、流山市立博物館で「流山白味淋200周年記念企画展」というのをやっている、という情報を得たので、行ってきました!

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 みりんとは、蒸したもち米に、米麹と焼酎などのアルコールを加えて熟成したもので、お酒の一種です(アルコール度数は14度くらい)。しかし、原料にもち米を使うことででんぷんが多く糖に変化するため、日本酒よりは甘みが強くなるのが特徴です。

 

 ですので、なんと、戦国時代には、女性やお酒が苦手な人のための飲みものだったそうです。しかし、江戸時代になって料理文化が発展すると、もっぱら調味料として使われるようになったそうです。

 

 みりんの起源は諸説あって、もともと中国に「蜜淋(ミイリン)」という甘いお酒があって、それが日本に入ってきた説や、日本に古来よりあった練酒や白酒というお酒の腐敗防止のために焼酎を入れてできた説、などあります。ですので、漢字も「味淋」と書いたり、「味醂」と書いたり、いろいろな表記があるみたいです。

 

 それで、流山では安政年間(1772−81)にみりんの製造が始まったのですが、当時は上方(関西地方)が一大生産地で、江戸でも上方から船で運ばれたみりんが多く出回っていたそうです。

 

 当時上方で作られていたみりんは色が濃く濁っていて、味も淡白で薄味だったそうです。そこで、流山でみりんを作っていた堀切紋次郎という人が白いみりんを開発、文化11年(1814年)に「万上(まんじょう)」という商標で発売しました。

 

 これが、見た目の美しさと、また、従来のみりんに比べて甘み、うまみ、風味が凝縮され濃厚で上品な味だと江戸で評判になり、京都や大坂でも出回るようになって、大ヒット商品になったそうなんです。

 

 流山で白みりんを作ることが出来たのは諸説あって、江戸川の豊富な水資源があったことや、当時江戸川周辺では良質なお米が生産されていたこと、また、濾過技術の向上や江戸川が開削されて江戸に短期間で運べるようになったことなどがあげられるそうです。

 

 それで、流山では江戸時代後期から、それまでの上方に代わってみりんの一大生産地となり、堀切家の「万上」と、秋元三左衛門の「天晴(あっぱれ)」というのが2大ブランドで、その他に「麗泉」や「白雪」というブランドがあったそうです。

 

 その後、関東大震災や第二次世界大戦の影響により、流山のみりん業者も廃業や事業譲渡を余儀なくされ、今は、市内にみりんを製造する業者はほとんどなくなってしまった、という状況なんですが、「万上」ブランドは今でも生き続け、現在も普通にスーパーで買うことが出来ます。

 

 というのも、堀切家は、隣接する醤油の一大産地、野田市の醤油製造業者が大正時代に合同で野田醤油株式会社という会社組織を設立した時、それに参加しました。野田醤油は商標に「亀甲萬」を使用していて、その後「キッコーマン」という社名に変更しています。

 

 堀切家のみりん製造所は、キッコーマン流山工場となり、2008年に分社化され、現在は流山キッコーマンとして、「マンジョウ(万上)本みりん」という商品を製造しているのです。

 

 なお、現在国内のみりんでシェア1位は、宝酒造(タカラ本みりん)です。この会社は本社は京都なんですが、松戸市に工場があって、そこでみりんを製造しています。そんなわけもあって、現在、みりんの醸造量は千葉県が全国1位となっています。

 

 というわけで、堀切紋次郎さんが白みりんを発売して、今年でちょうど200年ということになり、市内各地でいろいろなイベントも開かれているようですが、市立博物館では、みりんに関する企画展が開催されているのです。

 

👇流山市立博物館は、流鉄流山駅より徒歩7分、つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅から徒歩20分のところにあります。外観は、旅館みたいでした^^ なんと、この地は、明治維新の廃藩置県によって出来た葛飾県や印旛県(その後、千葉県と合併)の県庁があった場所だそうです(流山って、県庁所在地だったんですね!)。

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👇企画展の看板もありました!

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👇入口を入ると、左は市立図書館、右側が博物館になっていました。展示室は、階段をのぼり2階です。入場料は、なんと無料でした!

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 2階に上って写真を撮ろうとしたら、なんか、イヤなプレートが貼ってありました。それは、「展示室内の撮影は事務室にお問い合わせください」というものでした。

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 う〜ん、これは、私の一番苦手なパターンです。撮影禁止なら禁止で、写真なしの記事にすることも出来るのですが、事務室に聞け、とは、超人見知りの私には難関過ぎるくらい難関のハードルです。

 

 でも、せっかく来たのにそのまま帰る、というのも情けないと思い、思い切って1階の事務室の男性に、写真とってもいいか、聞いてみました。

 

 そしたら、展示室に係員がいるから、そこで名前を書いて、許可証をもらえば自由に撮影できる、とのことでした。

 

 なるほど〜、よかった、と思い、再度展示室に行って、係員の女性に写真を撮りたい旨を告げると、優しく丁寧に対応してくださいました。そこには、撮影許可のフォームがあって、そこに名前と住所を書きました。それで、電話番号はスマホを見ないと覚えていないので、スマホを取り出しもぞもぞしてたら、係員の女性に「あ、結構です」とおっしゃっていただきました。その下には、撮影目的云々の欄もあり、(えっ、どうしよう、ブログに載せるとか書きたくないなー)と思っていたので、氏名と住所だけでよかったです。

 

 そしたらなんと、首からかける「撮影許可証」のストラップを渡されました。あっ、そんな大げさな感じ?と思いましたが、首からかけると、なんか、新聞記者のような優越感と、気恥ずかしさが入り交じった感情になりました。アイフォーンを使って、ちょっと撮るくらいなんですがね〜。

 

👇私の胸(お腹)に燦然と輝く撮影許可証。でも、他に見に来ていた方は、許可証なしでもフツーに写真撮ってましたね〜^^;;(私が写真撮ってたのを見て安心したのかも)

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 それで、いつものように、前置き長ロングなので、展示内容はサクサクいきます(そっちの方がメインだろ〜)。

 

👇みりんの歴史が分かる、いろいろな資料です。

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👇いろんな博覧会でも賞をとるほど、流山のみりんは評価が高かったそうです。明治6年にオーストリアで開かれた万国博覧会で万上みりんと天晴みりんは有功賞牌を受賞し、世界にも認められた味なのです。明治10年には、万上みりんが宮内省御用達になりました。

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👇明治時代のみりんのラベルの展示もありました。ラベル好きにはたまらないです≧▽≦

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👇現在全国各地で製造されているみりんが並んでました!流山だけでなく、他地域のもフォローしているのは、すばらしいと思いました!ちなみに、みりん醸造量は、1位の千葉県についで、兵庫県、愛知県、広島県、和歌山県がベスト5だそうです。西日本優勢ですネ!

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👇こちらは、流山で現存する最古のみりんのラベルだそうです。(弘化3年(1846年)、万上味淋)

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 ところで、流山のみりん製造用具は、平成11年4月に、千葉県有形民俗文化財に指定され、それに関する常設の展示も、今回の企画展とは別にありました。

 

👇大きな製造樽や醸造道具、樽に押す焼き印などがありました。

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 さて、博物館は、常設の展示として、流山の歴史が縄文時代から分かるようになっていて、こちらもなかなか面白かったですよ〜^o^

 

👇加村台遺跡(弥生時代)の復元模型です。

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👇明治時代の流山大通りの模型です。

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👇流山は新撰組ゆかりの地でもあります。一時、新撰組は流山に本陣を置きました。その後、局長の近藤勇は新政府軍に出頭し、板橋で斬首刑に、副長の土方歳三は新撰組を率いて北上を続けますが、箱館(函館)で戦死しています。つまり、近藤さんと土方さんの永遠の分かれの地になったのが、この流山なのです。

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👇江戸川台団地の復元されたお家も建ってました。江戸川台団地は1958年より入居が開始された、日本で初めての一戸建て分譲住宅団地です。

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👇家の中の様子。雰囲気は、私の祖母(故人)の家(昭和初期建築)に近いものがありました。

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👇お家の玄関のところに、こんなパネルが!未来の流山をつくるのは誰か…蓋をあけてみると、その答えがありました。ちょっとビックリしますよ!

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 と、こんな感じで、博物館の展示を見てきました。無料とは言え、流山の歴史がよくわかる、なかなか充実した展示で、面白かったです。

 

 「流山白味淋200周年記念企画展」は、9月23日(祝)まで、9:30〜17:00です。月曜は休館ですが、月曜が祝日の場合は、翌火曜が休館となります。